こんにちは、代表の佐伯です。
今回のお話は、東日本大震災から数年が経ち、ようやく一部の地域で避難指示が解除され始めた頃に経験した忘れられない「奇跡」のお話をさせていただきます。
それは、震災で福島から都内へと避難され、避難先で病を患い、静かに息を引き取られたあるお父様のご搬送依頼でした。
命からがら逃げ延びた、あの日から
ご家族からお話を伺うと、かつてのご自宅は海岸のすぐ近くにありました。
「あの日、波はすぐ足元まで迫っていました。無我夢中で丘の上へ駆け上がり、なんとか家族全員の命だけは助かったんです……」
家も、家財も、思い出も。すべてを津波に流され、避難所生活を経て都内へ。
住み慣れた土地を離れて数年。お父様は最後まで「故郷」を想いながら、都内の仮住まいでその生涯を閉じられました。
「お葬式だけは、どうしても地元の、あの空気が流れる場所で出してあげたいんです」 その切実な願いを受け、私は二つ返事で快諾。
搬送先は避難解除になった地域の葬儀会館でしたが、ご家族にはどうしても叶えたい「最後の寄り道」がありました。
「会館へ行く前に、家があった『あの場所』に寄ってもらえませんか?」
搬送の準備は何度も確認し完璧です
目的地はまだ関係者以外立ち入り禁止の区域。
ご家族が特別な許可を取り、私は寝台車を走らせました。
長距離、かつ未整備の道も予想されるため、私はいつも以上に慎重に準備を整えました。
お棺は使わず、お体にドライアイスを処置し、特殊シーツで包んでストレッチャーに乗せます。
「お顔が動かないよう、左右をしっかりと固定。」
「ドライアイスが崩れないよう、ガッチリとホールド。」
段差の衝撃でも、急ブレーキでも動かない。
そんな完璧な状態で、私は出発しました。
ご家族は自家用車で先導。
高速を降り、かつて町だった場所へと入り込んでいきました。
何もなくなった「自宅跡地」で
たどり着いた場所には、本当に何もありませんでした。
がれきこそ撤去されていましたが、かつてそこに誰かの生活があったことさえ疑いたくなるような、静まり返った更地。
車を止めると、ご家族は跡地に降り立ち、しばしの間、故人様との無言の対話をされていました。
私は邪魔にならないよう、少し離れた場所で待機。
数分後、長男様が「佐伯さん、もう大丈夫です。ありがとうございました」と晴れやかな、でも少し寂しそうな顔で戻ってこられました。
ですが、ここまで何時間もかけて走ってきたのです。
私はふと、こう提案しました。
「せっかくですから、後ろのドアを開けましょう。最後にお父様にも、ここの空気を吸ってもらいませんか?」
「えっ、いいんですか……!?」と驚き、喜ぶご家族。
私は「もちろんです、今準備しますね」と言い、寝台車のスライドドアへと手をかけました。
「???……どういうこと!?」
ドアを開け、お顔を覆っていたシーツをそっとめくった瞬間。
私は、心の中で叫びました。
(えっ!?……嘘でしょ!?!?)
全身の血が逆流するような衝撃でした。
出発前、あんなに念入りに、しっかりと固定したはずのお顔が……。
まっすぐ上を向いていたはずのお父様のお顔が、グイッと左側を向き、窓の外、つまり「自分の家があった跡地」をじーっと見つめていらっしゃったのです。
プロとして断言できますが、物理的にはありえないことです。
固定具もドライアイスも、運転も完璧でした。
でも、そこには確かにお顔の向きを変えたお父様がいました。
動揺を必死に抑え、「ご準備が整いました。どうぞ」とお呼びすると、駆け寄った長男様が絶句されました。
「ああ……!!親父、やっぱり帰りたかったんだな!見て、しっかりと自分の家の方を見てるよ!」
「本当だ……良かった、お父さん。帰ってこれたね……!」
ご家族の皆さんは、泣き笑いのような表情で、まるでお父様が生きているかのように話しかけていました。
その横顔は、数年間の避難生活の疲れがすべて吹き飛んだかのような、本当に安らかで、誇らしげなものでした。
その後、葬儀会館へ無事に引き継ぎを終えましたが、あの帰り道、私の心は震えが止まりませんでした。
震災で避難を余儀なくされ、望まぬ土地で亡くなられた方は今もたくさんいらっしゃいます。
「ほんの少しでも、何かのお手伝いができれば」 そんな想いでハンドルを握っていますが、あの日は逆に、故人様の強い想いから「仕事の本当の意味」を教えていただいた気がします。
今、被災地への搬送は少なくなりましたが、あの時の光景は私の胸に深く刻まれています。 亡くなられた方の魂には、きっと、物理的な距離も、時間も、そして不可能さえも超える力がある。
私は、そう信じています。
嘘のようなお話ですが全て実話です!
それでは、また。

