こんにちは、代表の佐伯です。
今日、3月11日は東日本大震災から15年。 節目の日を迎えました。 今では当たり前のように車を走らせ、普段通りの生活を送っていますが、この日だけは、あの時の光景と、その後の搬送業務で知ることになった被災地の現実を、静かに思い返すようにしています。
あの日、あの時間。 私はまだ長距離搬送を専門にする前で、葬儀社のスタッフとして式場の設営に追われていました。
経験したことのない揺れ、そしてテレビに映った絶望
神奈川でも、これまでに経験したことのないような激しく、長い揺れ。 「これはただ事じゃない」と慌てて外へ出ると、駐車場の車がまるで激しい波に揉まれる船のように、ガシャガシャと音を立てて揺れていました。
揺れが収まり、なんとか業務に戻ろうとした矢先、スタッフが血相を変えて飛び込んできたんです。
「東北で津波が!とんでもないことになっています!」
急いで控室のテレビを付けると、そこに映っていたのは、黒い波が町を飲み込んでいく、映画でも見たことがないような光景でした。
「これが本当に、今の日本で起こっていることなの???」
一瞬、脳が現実を拒否するような感覚。
ただただ愕然と、画面を見つめることしかできませんでした。
混乱の中の「葬儀」。集まれたのはごく僅かでした
しかし、私たちには目の前で待っているお客様がいます。
「こんなパニック状態で通夜ができるのか?」
「お寺様は来られるのか?」
「何より、余震が続く中で安全を確保できるのか?」
頭の中は不安でパンクしそうでしたが、とにかく業務を止めるわけにはいきません。
結局、喪主様ご家族とお寺様はなんとか到着されましたが、遠方の親戚の方々は交通網の寸断で全滅。
ニュースでは首都圏の帰宅困難者が溢れ、道路は大渋滞。外はパニック状態でしたが、式場の中だけは、集まれる方だけで、静かに、そして祈るような気持ちで式を執り行いました。
何とか式を終えて事務所に戻ると、驚いたことが一つ。
「きっと棚から何からひっくり返っているだろう」と覚悟してドアを開けたら、あんなに揺れたのに、何一つ倒れず、いつものままの事務所がそこにあったんです。
それだけが、あの夜の唯一の不思議な安らぎでした。
被災地の「あの日」に思いを馳せて
混乱の翌日、喪主様と相談し、葬儀は「無理をせず、来られる方だけで、時間をたっぷり取って行いましょう」と決めました。
状況が状況だけに、お寺様も柔軟に対応してくださり、なんとか無事に終えることが最優先。
そんなバタバタした状況の中で、ふと私の頭をよぎったことがありました。
「あの津波が襲ってきた地域でも、あの日、お葬式の最中だった場所があるはず。そこの葬儀社さんやスタッフさんは、一体どう動いたんだろう。ご遺体や、参列していたご親族は???」
その疑問は、のちに私が長距離遺体搬送の事業を始め、実際に何度も東北へ向かう中で、現地の葬儀社さんから直接お話を聞くことで解決することになります。
その時の「言葉では言い表せないほど過酷な真実」については、また後日、改めてお話しさせてください。
15年目の「当たり前」に感謝を込めて
震災後の数日間は、まさに「ハラハラドキドキ」の連続でした。
ガソリンが手に入らない。
ドライアイスが届かない。
計画停電で斎場使用の制限がある。
当時の対応は、文字通り四苦八苦でしたが、あの経験が「どんな状況でもご遺体を守り、届ける」という、今の私の仕事の根っこを作った気がします。
その後、搬送の仕事で何度も被災地へ足を運び、自分の目で当時の傷跡を見てきました。
話を聞き、光景を目にするたびに、「今こうして平穏に暮らせていることは、奇跡のようなものなんだ」と痛感します。
15年。 忘れてはならない記憶を胸に、今日も一台一台、心を込めてハンドルを握ります。
今ある平和に、心から感謝を。
それでは、また。

